どうも、オカルトブロガーのさつきです。
今回は、問題への対処方法について書いてみます。
もちろん、オカルトも多少入りますのでご注意を。
自分に何か問題やトラブルが起きたら、放っとくとまずいのだから何か対処をすると思いますが、この対処が、例えば場当たり的なものなどで、問題を解決するには至らなかった場合の話をします。
今解決できるだけの能力がないならば、場当たり的な対処をするしかないとは思います。時間を稼いでいる間に、能力を身につけようとするわけですね。
しかし、そうではなく、やり方を選んだり考えたりすれば解決できるはずなのに、その解決できる方法ではない、誤った方法を選んでしまっているときがあります。
この場合、誤った方法をやめて考え直せばうまくいくかもしれないわけですが、それができない場合がある。
オカルト的でない問題だとしても、誤った方法に固執してしまったりだとか、誤っているのに正しいと思い込んでしまったりして、誤った方法を続けることがあるでしょう。
オカルト的である場合にはもっと困難なことがあって、例えば解決できない方法をやめればいいことはわかっているのに、やめ方が分からないだとか、やめ方がわかっていても難しいとか、そもそも問題が起こっていることに気づけないとか……それはもう恐ろしい事態になることがあります。
例えばエネルギーを運用することが必要なのはわかりますが、一部では「手のひらに傷をつけるイメージで気を出す、そうすると気が出る、出た気を球体にする訓練をする」などと主張する人がいました。
(私は気を人のエネルギーだと思っています……実在するならばね)
でもちょっと待ってください。それってもしかしてオカルト的な体に実際に傷をつけてしまっていませんか?
いずれにしても、エネルギーをお漏らしする方法に過ぎません。
何もしなくてもお漏らしは止まるのでしょうか? 仮に止まるとして、止まるまでにどれだけエネルギーを無駄にするのでしょうか? また、そのエネルギーは、ひょっとして生命力か何かではありませんか? なんにせよ、自分のエネルギーです。漏らしてしまっていいとは、ちょっと思えない。
訓練どころか、問題を自ら作っているだけにしか見えませんでした。
でも、彼らはそれが正しい方法だと信じているわけですね。
これは問題自体を自ら作り出している場合の話ですね。
問題というものには、たいてい、それを作り出している原因がありますが、その原因がなんなのか、というところでつまづくことがあります。
自ら問題を作り出しているとは思わない場合が多いでしょうが、前述のように大いにありえます。
また、わかりやすいものとしては他者が原因のこともあります。
さらに、自分と他者、両方が原因になっていることもあります。
問題があると、焦って問題解決をしたくなりますが、その方法でいいのか、想定している原因は正しいのか、考える時間をとりましょう。
別記事で言及していますが、このブログは拡散希望です。
炎上はしたくないけど……。
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