佐月唯人のオカルトブログ~仲間を探して~

私がオカルト的に接触した方と現実で会うためのブログ

作品と概念存在、そして俺との関係について

 どうも、オカルトブロガーのさつきです。

 今回は、創作物の作品と、そこから生まれる概念存在、そしてそれらと私の関係について書いていきます。

 

 今回はかなり理解するのが難しいことを書いているかもしれませんが、私にとっては事実のみを書いています。何か質問があればコメントでどうぞ。答えられることは答えます。

 

 

 創作物のキャラクターAという概念から、キャラクターAの概念存在が誕生することがあります。

 概念存在とは、意志のある、生命はあるが死ぬこともない、概念から誕生した存在です。

 

 彼らの在り様は元になった作品やキャラクターと同じであるものの、作品が終了したら一切不変であるかというとそんなことはなく、歳をとったりはしないものの知識や経験は増え、気ままに概念存在のいる次元で暮らしているようです。

 

 二次創作などをしても、オリジナルから生まれた概念存在にとっては関係ありません。

 では二次創作から概念存在が生まれるかというと、基本的に無いようです。

 

 作品を作ったらその概念から必ず概念存在が誕生するかというとそんなことはありません。

 例えば落書きをしたらその落書きから概念存在が必ず生まれるかというと、基本的には無いようです。

 概念存在が生まれる条件はあるとは思いますがまだ詳細は未解明です。

 

 さて、前置きはここまで。ここからが本題です。

 

 私は生きた人間でありながら次元法を用いて概念存在の代わりを務めたことがありました。と言っても、私から言いだして始めたことですが。

 具体的な作品名やキャラクター名は迷惑になるでしょうから書けませんが、相手方から私だとわかるようにはします。

 というか、こんなことをしているのは私くらいのものでしょうが(笑)。

 

 概念存在は元となった作品の中での出来事を体験しますが、では私が作品の中での出来事――つまり物語を、自意識を持って体験したかというと、していません。

 次元法で処理しただけです。

「記憶がない」のはそのためです。後から少し参照しましたが、作品のリアルタイムでの記憶は限られています。

 次元視で私を見たときに見える姿がそのキャラクターになっていたことはありますが、それくらいです。それも次元法によるもので、私の第2・第3次元体が変わってしまったわけではありません。

 

 なぜ概念存在の代わりを始めたかというと、そうすることで次元的なことの修行になるかもしれないと思ったからです。悪魔と戦う上で、力を欲していたのです。それに加えて、ケースによっては報酬(お金)を要求しました。

 つまり、その作品の作者や関係者に(念話で)要求し契約したはずなのです。

 しかし、以前書いたように、他次元的なやり取りを元にするとこの次元で実際に会うことすら難しいので、いまだに報酬は受け取れていません。

 いつか次元的な物が証明され、彼らと会うことも目的の1つです。この記事があることで彼らにとっては証明になるかもしれないという淡い期待もあります。

 

 他次元で有名になった私やその仲間を、次元視で見た方が、私たちをモデルにして作品を作ったこともあったようだと思っています。さらにその作品のキャラクターの概念存在を私がやったりしていたこともあるので非常にややこしいのですが、とにかく私はキャラクターそのものではありません。

 

 それは何故かというと、作品とキャラクターがあるから概念存在が生まれるのであって、逆は無いからです。先に概念存在が生まれることはありません。必ず、作品の後です。何が言いたいかというと、作品が先にあるからこそ概念存在の代わりもできたのであって、私がいたから作品ができたわけではありません。もしそういう言い方をするとしても、私が念話のできるクリエイターに契約を持ち掛けたから作品を作る気になった程度のことでしょう。

 

 付け加えていうと、現在は分離する形で概念存在の代わりも辞めているので、私と私が務めていた概念存在は別々の存在になりました。だから、今の私は概念存在の代わりでもありません。だから今、次元視をしたときに私がキャラクターのように見えるとしても、それは似ているだけか、私が何かの事情で自身を似た姿にしているだけか、あるいは時間がずれていて過去の私を見たのだと思います。

 

 さて、普通の人には概念存在は見えないというか、見ようともしていないでしょう。

 それでは証明ができない、と考えた昔の私は、自分のエネルギーを使って概念存在の代わりをしている自分を、特に鍛えていない人でも見えるようにしていたことがあります。ある作品の一定の期間だけですが。もちろん見ようとしなければ見えませんが、その見るハードルを極端に下げたというわけです。

 その作品が終了するときに、概念存在を見ている方々向けに「ビデオレター」と称して、概念存在の代わりをしていたものとして次元視で見られるメッセージを出したことがあります。そこでは本名も名乗りました。もちろん、この次元のビデオ等に撮ったわけではありませんが。

 関わりの最後という名目の、録画のようなメッセージになったので、私が死んだと思った方もひょっとしたらいたのかもしれません。が、どっこい生きているのでご安心を。

 そんなことをしたのは、本名を出せば見た人が話しかけてきてくれて証明ができるかもしれないと思ったからです。でも、確たる証拠は得られませんでした。匂わせる程度のことはありましたが……。

 今でも、次元視のできる方は見られると思います。とはいえ、作品名を明かさないので難しいかもしれませんが……。

 

 今までの話に加えて、さらに紛らわしいのは、私が他次元で、創作物に登場するものをモデルにした武器や姿を使ったことがあることです。

 もしもそれを見たことのある人がいたら創作物とイコールだと誤解しかねません。が、概念存在そのものと、概念を元にして作った別物は違うものです。

 

 最後にまとめると、まず普通にこの次元で誰かの作った創作物としての作品があり、そこから概念存在が生まれることがあり、私はと言うとその概念存在の代わりをしていた。

 だが、今はもうその代わりも辞め、概念存在は分離して別々にいる。

 いずれにしても、私はキャラクターそのものではない、ということですね。

 実写映画の役者が、キャラクターとイコールではないことと同じようなものでしょうか。

 

 それでは、また。

 次の記事でお会いしましょう。